IT (情報技術) 学習記録

主に情報処理技術者試験、オラクルマスター、Linux技術者試験(LPIC)等の、IT系、または電気系の学習記録を中心に。(働き方や世の中も)

「アウトプット」の重要性と「生徒でいるうちは先生を超えられない」説


「アウトプット」の重要性と「生徒でいるうちは先生を超えられない」説



これ、本当にそう思う。

理由は「脳の記憶のメカニズム」と関係がある。

誰かに教えられたり、何かを読んで勉強する時点では、その情報や知識は、まだ「自分の知識」として脳に定着していない。

一方で、誰かに自ら教えたり、文書として自分なりにまとめたり(ブログでも良い)する時点で、はじめて「自分の知識」として脳に定着するのである。


生徒は先生よりも上手くはならない説


これは、前述の理論で説明がつく。

最近、拝読した記事の中に、下記のような言葉があった。


「バイトや仕事よりもブログで稼ぐ」ことを学生や若者が主張するようになったのは、「絶望」のせいかもしれない。 - いつか電池がきれるまで


 僕は、若者がキラキラとした自分の夢を語ってサロンに集客するようなブログは、基本的に「お金に困っている人から、『こうすれば稼げますよ』と教えるという名目でさらに小銭を巻き上げる『貧困ビジネス』」だと思っています。

 人にものを教わるときに気をつけたいのは、ほとんどの場合、生徒は先生より上手くはならない、ということなんですよね。

 だから、教えてもらうのだとしたら、「教えたがっている人」にではなく、「自分もこうなりたいと思える人」に付いたほうがいい。

 大部分の「ブログ指南」をしている人たちと、その信者たちをみると「えっ?こんな現時点ですでに救いようのないブログの劣化コピーをつくってどうするの?」って思うよ。


これも、本当にそう思う。

この記事全体の主旨についての言及は避けるが、上記の引用の中の、「生徒は先生より上手くはならない」の部分は、本当にそうだと思う。


ブログを書くことの意義もある


上記のような事を踏まえると、ブログを書くという行為にも、意義が見いだせるのではないだろうか。

そんなことを思う次第。


2TBプラッタのハードディスクドライブ(HDD)が主流になりつつあるのか(SSDはいまだに信用できない件)


2TBプラッタのハードディスクドライブ(HDD)が主流になりつつあるのか(SSDはいまだに信用できない件)


www.itmedia.co.jp


プラッタというのは、磁気ディスクの円盤の事である。私の認識では、両面が主流になったり片面が主流になったり(物理的なサーボ情報の記録の方式がいろいろあった)したが、近年は、両面記録方式が主流だと思う。

1枚2面の磁気ディスクを、1枚のプラッタと呼び、両面に、その先端に磁気ヘッドが付いたアーム(アクチュエーター)がある。

アクチュエーターは、1秒間に約100回程度の速度で動くことができる。これは非常に高速に思えるかもしれないが、コンピュータの処理の中では『きわめて低速』な動作である。

このアクチュエーターが動いて、磁気ディスクの目的のトラックまで移動する時間の事を『シーク時間』という。

シークした後、目的の読み取り位置(セクター)に磁気ディスク自体が回転してくるまでの待ち時間の事を『回転待ち時間』という。

この電子的ではない、機械的な動作こそが、ハードディスクドライブ(HDD)の、速度面でのボトルネックであり、また最も故障しやすい部分でもある。


「2TBプラッタ」という事は、1枚2面の記録容量が2TB (2000GB) という事である。

つい最近までは、「1.33TB」「1TB」クラスのプラッタが主流だと思っていたのだが、HDDの世界も容量がどんどん増加しているという事のようである。


弊職場の自席には未だに10年以上前の Core 2 Duo クラスの HDD容量が100GB少々というPCが存在し稼働中である


たぶん、普通のIT企業にはありえない光景だとは思うが、弊職場の自席には未だに10年以上前の Core 2 Duo クラスの HDD容量が100GB少々というPCが存在し稼働中である。

無論、メイン機としては使っていないが、TeraTerm端末としてならば、よく使う。

昨年の夏まで、約3年もの期間、休職して職場を離れてしまっていた訳であるが、休む前に使っていたPCを、そのまま使用しているのである。

流石にバッテリーは消耗しきってしまい機能しない。しかし、HDDは未だに使用に耐えている。かなり乱暴に使っているつもりではあるのだが…。

10年以上も前から使っているので、その当時にローカルHDDに保存したファイルなどが、いまだに読み出せる。


なんでも2020年にはHDDよりもSSDの方が多くなるらしいけど


SSD(Solid State Drive:ソリッド・ステート・ドライブ)が、一般的に使用されるようになって久しい。

しかし、ウチの職場では、皆古いPCを使い倒しているためか、まったく一般的になっていない。

先日、自宅のPCを交換したときにも、SSDにする気にはならなかった。

高いという点も確かにある。しかし、いちばんの理由は、いまだに長期間のデータ保存の実績がない、という点が大きい。


SSDとは、原理的にはUSBメモリーと同様の、「フラッシュメモリーストレージ」である。

フラッシュメモリーのうち、BIOSファームウェアに使用されている「NOR」型ではなく、書き込み速度が高速化でき、集積度が上げられる「NAND」型がSSDには使用される。

フラッシュメモリーの良い点は、もう広く知れ渡っているのでここには記載しないが、やはり気になるのは、悪い点の方である。

  • 既にデータが書き込まれている領域を直接書き換える事ができない(Trimコマンドで対応)

  • 書き込み回数に限界がある(SLC:10万回程度、MLC:5千~1万回程度、TLC:1千~5千回程度)

  • まったくアクセス(通電)しない状態で放置すると、いつの間にかデータが「蒸発」してしまう

温度や湿度などといった使用環境にも左右されるが、フラッシュメモリーには、上記のような、仕組み上の欠点が存在する。


特に「寿命」と「データの蒸発」という問題は、技術的なパラダイム変化が欲しいようなレベルの問題だと思う。

ちなみに、某メーカーの資料によると、SSDの種類(SLC,MLC,TLC)ごとの寿命とデータ書き込み回数は以下の通り。

  • SLC:(工業用) 寿命「約10年」書き込み回数「約10万回」

  • MLC:(民生用) 寿命「約5年」書き込み回数「約5千~1万回」

  • TLC:(民生用) 寿命「約1年」書き込み回数「約1千~5千回」

また、TLCでは、置かれている環境にもよるようだが、まったくアクセスしない状態で放置すると、約6ヶ月くらいでデータが消えてしまう可能性があるらしい。


SSDに関しては、もう少し長期利用した場合の実績データを集めたいところである。


派手なイノベーションは必要ない…ただ地味な少しだけのリードがあることが重要(Oracleの読み取り一貫性に関して思う事)


派手なイノベーションは必要ない…ただ地味な少しだけのリードがあることが重要(Oracleの読み取り一貫性に関して思う事)


職場内向けの資料なのでここには上げられないが、今日は少し思うところがあって、創設20年を迎えているオラクルマスター試験の変遷や、データベース・ソフトウェアとしての Oracle Database について、自分なりに考えた。


まぁ、現在においては、世界で最も利用されているDBMSは、OSSMySQLであるという事実はある。(それもOracle社が持ってしまっているが)

しかし、ことにエンタープライズ分野の、特に大規模システムでは、Oracle Real Application Clusters(Oracle RAC) 等で可用性に優れているオラクルDBが、あいかわらず強い。


「同時実行制御」のほんのわずかな違い(リード:先行分野)が明暗を分けた


1992年(平成4年)に公開された「Oracle 7」において、「分散トランザクション」「パラレルクエリー」「データベーストリガー」といった、大規模OLTPシステムには欠かせない基本機能を、Oracle は持っていた。

そして「同時実行制御」の考え方において、IBMDB2のような「ロック」による解決を行わなかった。

「読み取り一貫性」を当初から導入していたのである。

これがオラクルの生命線だった。


あるトランザクションが終わるまで、そのトランザクションが更新しているレコードは、他のトランザクションからは「一貫して」"更新前"として見える事を保証する。


これが、「読み取り一貫性」である。

オラクルを普段から使用している人にとっては、「何を当たり前な事を」と思うだろう。そう。オラクルでは、これが「当たり前」なのであった。

更新する前にUNDO表領域(昔風に言うとロールバックセグメント)にレコードデータを退避して、それを他のトランザクションには見せる。

このことから、単なる読み込みであれば、ロックという概念すら必要はない。

これが、例えば同じように大規模システム向けのIBM DB2 だと、話は違ってくる。

更新するレコードは「ロック」することで書き込みも読み込みも矛盾を起こさないようにする。

非常に単純な仕様で、明解ではある。

単純で明解ではあったが、「同時実行性」の面で、オラクルに少しだけ先行(リード)を許した。

だが、それが致命的な差になってしまうのである。


「読み取り一貫性」はいまで言う「イノベーション」だったのか


「読み取り一貫性」はいまで言う「イノベーション」だったのかというと、そこまで大げさな機能ではなかったはずである。

「同時実行性」を、少しだけ向上させるための、ひとつの「工夫」にすぎなかったのだろう。

同じ「工夫」を、2017年である現在やったとしても、誰も見向きもしない事だろう。

1980年代~1990年代初頭という、RDBの黎明期にやったからこそ、ものすごい大きな「差」となっている。

技術とは、得てしてこういうものなのだなぁ…。


技術の不変性・普遍性について …そしてこれからの日本について


技術の不変性・普遍性について …そしてこれからの日本について


誤解のないように言っておくと、良くネットなどで目にする『この分野を極めていれば一生安泰だ』とか『この資格を持っていればお金に困らない』とか、そんな事は、もはや幻想だ。

そんな事はない。うそだ。

ありえない。

最近、話題となった下記の記事にもあるように、もはや日本は先進国家ではないのだ。


www.from-estonia-with-love.net


少子高齢化が世界で最も速く進み、年金だけで生活する事など、大多数の人はできなくなるだろう。

つまり、生涯現役で労働しないと生きて行けない社会になろうとしているのだ。

まだ社会制度がその現実についてきていないのだが……。


IT業界における技術の不変性・普遍性について


前項で述べたことを肝に銘じて、お読みいただきたい。

決して、『これだけやっていれば』などという甘い世界は、既に存在しない。

それでも、技術の不変性・普遍性については、下図のような傾向はあると思われる。


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これも誤解のないように言っておくと、右方向のデータリソースに近づく方向の中には、単なる『IT汎用スキル』としてのデータベース知識だけではなく、その中に格納される、具体的な業務データそのものの知識や、それらを適正にデータモデリングする知識が含まれてくる。

つまり、「純IT技術としてのDB知識にだけ興味を持ち、ユーザー側の業務知識やデータ知識などに興味はない」などという姿勢では、通用しないという事である。

業務システム系とWeb系とでは、カルチャーが異なる部分も多いようであるが、Web系では既に『技術の早期陳腐化』『過当競争』が発生している。


(関連過去記事)

kf7757.hatenablog.com

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なお、あいかわらず不人気でかわいそうなCOBOLであるが、私の観測範囲では、まだまだ全然、現役で稼働中である。(新規開発もある)


日本のこれからについて


経済産業省あたりでは、東京オリンピックが開催される2020年までに、セキュリティ人材を含むIT人材が数十万人も不足する、などと言っている。

私はそれに対しては、少し疑問を持っている。セキュリティ人材は確かに必要だろうが、セキュリティ特化型の人材だけが増加しても、たぶんダメなのだ。

セキュリティというものは、それだけで何かを生み出す性質のものではない。あくまでもITインフラを支えるひとつの領域なのであり、それ単体で語られるものではないと思う。

「セキュリティだけ」とか、「IT汎用スキルだけ」とか、そういった特化型の人材は、よほど先鋭的でズバ抜けたモノを持っていなければ、淘汰されて行くのではないだろうか。


私は、IT系よりも、もっと人材が不足しそうな領域に心当たりがある。

『電気』『設備管理』などといった、インフラ系の分野である。

日本は、急速に少子高齢化が進み、そうなるとこれまで都市部にニョキニョキと建てられてきたマンションやビル、商業施設などが、一気に空家問題に突き当たるのである。

これらの建物や設備の管理をする人材が、圧倒的に不足することだろう。


私はいまでも、東京オリンピック開催には反対である。

日本には、既にそのようなお祭り騒ぎをしている余裕はない。

オリンピックに1兆円を費やすのならば、それを就職氷河期世代や、現在の非正規労働者たちの雇用問題に投入したほうが、よほど日本は延命されるだろうと思っている。


…まぁ、そういう訳で、私もオラクルマスターの勉強とか、電気関係の勉強とか、進めていかないとなぁ…。

悪いスケジュールの引き方、良いスケジュールの引き方 (短納期?そんなモノに何の価値がある?)


悪いスケジュールの引き方、良いスケジュールの引き方 (短納期?そんなモノに何の価値がある?)


IT業界、ソフトウェア開発業界において、古典的な名著がある。

IBMが世界で覇権を握ったメインフレームシステムとそのオペレーティングシステムOS/360を開発した、フレデリック・ブルックスという人が書いた、『人月の神話』である。

日本では、初版が1977年に出版されている。

以降、40年間にも亘って、「ソフトウェア工学のバイブル」と呼ばれている。

この呼ばれ方には、「誰もがこの本を読んでいるが、誰もこの本で述べていることを実践しないからである」という皮肉も含まれているようである。


ブルックスの法則』として、最も有名な言葉は、おそらく下記の言葉であろう。

遅れているソフトウェア・プロジェクトに人員を投入しても、そのプロジェクトをさらに遅らせるだけである。

人月の神話 - Wikipedia


私は昨年、現職に復帰する前には、三年間もの間、心身の不調により休職してしまっていた。

その休職する直前に関わっていた顧客側の責任者(権限者)が、とにかく暴君であった。

システム開発者側として、きわめて現実的で、かつ、それでも最短期間で完了させるスケジュールを提出した時、たびたび「なんでこんなに期間がかかるんだ!」と騒がれた。

その部下である顧客側の担当者は上司の言いなりなので、話にならない。

仕方なく、無理のあるスケジュールで進める事になる。

しかし、それでも結局は、顧客側の仕様調整が甘かったりして、手戻りが発生し、当初に私が提示したスケジュールと同じか、それよりも遅く進行する事が常であった。

パッケージを導入し、業務もそれに合わせるような割り切りをするならまだしも、基幹系業務システムの開発などにおいて、「短納期化」なんていうものは、ただ単にやるべき作業を省くだけであり後工程にツケが回って、結局は余計に期間がかかるだけで終わってしまうのである。


悪いスケジュールの引き方、良いスケジュールの引き方 その例


ここでは敢えて、「悪いスケジュールの引き方」と、「普通のスケジュールの引き方」と言い換えよう。

下の2つのスケジュールを観て欲しい。


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ある程度のシステム開発プロジェクトを経験すると、皆、わかることだと思うが、実際には、モノを作ったり書いたりしている時間に比較して、検討したり情報共有したりレビューしたり、といった対人コミュニケーションの方にも、同程度、もしくはそれ以上の時間が必要とされるのである

もちろん、顧客とのレビューなどの調整にも、時間がかかる。

これが、案外、見過ごされがちなのである。


プロジェクトが炎上したときに欲しいものとは


様々な理由により、プロジェクトが炎上か、それに近い状態に陥ってしまった時。

もしも神様から、「『お金、人、時間』のどれか一つだけ与えてやる」と言われたら、何を選択するだろうか。


たいていの場合は、『時間』と答えるのではないだろうか。


現場の人間にとっては『お金』などどうでも良いのだし、『人』をその段階で投入されても、かえって迷惑なのは、前述した『ブルックスの法則』のとおりである。

疲弊しきった現場に必要とされるのは、一息休むための『時間』、休んだ後に課題を一つずつ整理するための『時間』、建て直すための『時間』なのである。

一度、炎上してしまい、ガタガタになってしまったプロジェクトは、立て直しするのにも、相当の時間がかかる。

数カ月、もしくは一年単位の時間が必要な場合もある。

そのくらいの十分な『時間』が確保されて、はじめて『新たな人員を補強しよう』という話ができるようになる。


エライ人には、これがわからんのである。


「失われた20年」で本当に失われたものとは……これは現在でも失われ続けており「失われた30年」というものも現実味を帯びている


「失われた20年」で本当に失われたものとは……これは現在でも失われ続けており「失われた30年」というものも現実味を帯びている


今日は東京都議会選挙の投票日であるが、やはり投票率は低迷するのであろうか。

日本は2008年をピークに人口が減少に転じ、ついに人口減少社会に入っている訳であるが、東京の人口だけはまだ増加している。(それでも2020年あたりまでがピークで、その後は急速に少子高齢化が進むとも言われているが)

いまや1300万人という、日本の全人口の1割もの人が東京に居るという事になる。東京の政策の失敗は国政にも大いに影響するだろう。


日本は、1990年頃のバブル崩壊まで、だましだまし経済成長を続けてきた社会であった。

しかし、国策としてバブル景気を発生させ、そして、国策としてそれを崩壊させた事で、ついに日本の経済成長、および経済大国としての実体はなくなった。

その後に訪れた低迷期が「失われた20年」と呼ばれている。

一億総中流」と言われた社会構造は崩壊し、格差社会が浸透していった。


kf7757.hatenablog.com

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IT業界においても、1990年代は、景気こそ良いように見えたが、実のところ、情報システムの「オープン化」の名の下に、「ITに関心も興味もないユーザー企業」が、「短期的な利潤のみを追い求めるITベンダー」との利害の一致を見せ、以下の事がどんどん進行していった。

  • ユーザー企業が自社の情報システムの再構築や開発を上流工程から外部に丸投げ

  • ITベンダーは多重請負構造を構築して大規模案件を受けまくり、オープン化の名の下にシステムを食い荒らす

そんな状況が、いわゆるITバブル崩壊と言われた2000年代初頭まで続けられた訳である。


残るもの 残らないもの 貴重なもの そうでないもの


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上図のように、大きなものを作ったりする場合、システム開発を例にすると、

  • (1) 基本思想、システム化の目的、考え方、アーキテクチャ

  • (2) システム化詳細設計、デザイン、実装、プログラム

  • (3) システムの利用ガイド、手順書、運用資料

…といった、3つのカテゴリーに分解できる。

内容の質という観点から、(1)の方が付加価値は高いし、できる人が少なく貴重である。


ITに無関心なユーザー側経営者ととにかく短期的な売上を得たいITベンダーとの利害の一致が生み出した大安売り


かつては、いまではすっかり聞かなくなったが、上記で言う(1)にあたるような、いまで言う「上流工程」を専門的に行う者として、SA(システム・アナリスト)という存在が居た。

起こったことは、IT技術者が「SA単価」では契約できなくなった。(無論、この単価契約という制度自体にも問題はあるが)

  • システム化の基本仕様や要求仕様の作成はユーザー側企業の情報システム部でやるから、ITベンダーには決められたそれらに基づいて粛々とシステムを開発すれば良い (実際には、自社業務もろくに知らない、システム開発の経験もない素人が作った「使えない基本設計書」があるのみ)

  • ITベンダー側も外注化が進んで空洞化しており、とにかく案件を安く受けまくる

  • ユーザー側企業とは最も距離が遠い下請け企業の技術者が、上記の(2)を実施するためには結局(1)の部分が必要となり、(1)も含めて不完全なものを開発する (もちろん安い単価で)

  • (1)が不完全な状態で出来上がったシステムが使いやすい訳もなく、炎上案件となる

…という事が、くりかえされた。


近年になって、「丸投げはいけない」とか、「自社の重要なノウハウの流出はマズイ」とか言われるようになったが、あまりにも遅すぎる。

20年間以上も、上記のような状況を作り上げてきたのに、それが簡単に戻せる訳もない。

いまになって、自社の基幹業務の知識を自社内の誰も持っておらず、そのためにシステムの維持すらできなくなって、開発当時の技術者を探し求めても、その人は既に業界を去ってしまっていた、などという事が本当に起こっている。

自業自得である。


真の意味での『同一労働同一賃金』とは何かを考えてそれを実現しなければ日本は滅亡するだろう



真の意味での『同一労働同一賃金』とは何か。

それは、仕事の価値を正しく評価して、それに見合う処遇を行うということである。

ただ単に時給を上昇させれば良いという問題ではない。


よく「正社員は簡単には辞めさせられないので、コスト増となり、非正規雇用しか増やせない」という理論を聞くが、それはどうなのだろう。

社員のパフォーマンスが出ないのは、本人だけではなく、仕事を任せる管理職の責任でもある。要するに、その人の「使い方」がうまくないだけではないだろうか。

場合によっては、処遇を落としても良いと思う。


以前にも何度か書いたが、「その仕事をお金を払ってでもやってみたいと思っている人は世の中にはたくさん居る」のである。

正当な理由で処遇を落とされたり、仕事を外されたりしたのであれば、受け入れてみるしかない。

そして、自社とか委託とかに関わらず、真の意味で付加価値の高い仕事をしている人を、正当に評価し、処遇し、リスペクトする文化を醸成しなければならない。


近年、日本を代表するような巨大メーカーが経営不振になり身売りされたり、中国にどんどん技術が流出して、かつてとは立場が逆になりつつあるとか、そんな話がニュースになっているが…。

それは結局のところ、貴重な知識やスキルを保有していて本来は大切に処遇しなければならなかった「人財」を、まったく大切には扱わず低い労働条件で使い倒してきた事の、ツケが回ってきたというだけなのである。

このままでは人口減少、少子高齢化労働人口現象などと相まって、本当に日本は滅亡してしまう事だろう。


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昔はなかった言葉「文系エンジニア」「文系プログラマ」…この言い方やめないか?


昔はなかった言葉「文系エンジニア」「文系プログラマ」…この言い方やめないか?


新入社員たちが最初の新人研修を終えて、現場に配属される季節になった。会社や組織にもよるが、この7月から配属というところも多いのではないだろうか。

ウチの職場は、様々な理由により、そんなには人気も無いし、採用人数も少ない。

近年では、4月の入社式の日に、新入社員たちのコメントが全社向けのイントラネットに掲載される。誠に恥ずかしい風習である。

私が新人だった20数年前には、当然ながらイントラネットもなかったので、そのような恥ずかしいモノはなかった。

さて、その新入社員たちのコメントの内容であるが、まぁ、空気を読んだ内容、読まない内容、様々である。

その中で、気になるワードがある。「『文系』ですが頑張ります」などというものである。


近年、「文系エンジニア」や「文系プログラマ」という言葉をネット上で目にする機会が多い感じがする。

文脈的には、どちらかと言うと否定的なニュアンスで使われている。


曰く、『文系(大学)卒業で、エンジニア、プログラマになれるのは日本くらいだ』

曰く、『海外ではコンピュータ・サイエンスを学んだ上でないとプログラマにはなれない』

曰く、『日本では本当に優秀な理系(大学)卒業者は、プログラマなどにはならない』

曰く、『日本では安い単価で素人をプログラマに仕立て上げて現場に送り出す悪徳商売が横行している』


全否定はしない。

しかし、たちの悪いマスメディアのように、ごく一部分をフォーカスしているだけで、それをあたかも社会全体にも言えるかのように誇張するのも、違う気がする。


そもそも「文系人間」「理系人間」などという種類分けに意味があるのか?


普通科高校における、科目選択としての「文系コース」「理系コース」が、その人間の性質まで決めるのだろうか。

では、商業高校に進んだ人はどちらなのだろうか。文系だろうか。

では、工業高校に進んだ人はどちらなのだろうか。理系だろうか。

実のところ、近年の風潮からして、『学歴』とは、あくまでも『大学の入学歴』の事を指す。

そうなると、商業高校、工業高校、高等専門学校などに進んだ人は、『学歴そのものが無い』という事になる。


十代半ばにおける進路選択で、その人の人生は確定か。

「文系」「理系」および「学歴なし」が確定か。

バカバカしい。本当にバカバカしい話である。


社会人になってみてはじめて勉強の意義がわかってそれから努力する人もいる


どのような職業であったとしても、実際にやってみないことには、自分に向いているかどうかはわからない。

日本型の新卒一括採用は、確かに批判もあるし、その時点にしかチャンスがないという歪んだ採用実態は、改善する必要があるとは思う。

しかし、まったく社会経験がなく『真っ白』な状態のまま採用する事で、その人の本当の適正は、実際の仕事の中でゆっくり育成するという、決して悪いだけではない点もある。

学生時代に選択した科目が「文系」であったとしても、エンジニアやプログラマといった技術職の方が向いているとわかったり、もしくは、本人の努力で同期の「理系」たちに追いつき、追い抜いていく場合だって多い。


まぁ、入社時のコメントで出身大学の名前をわざわざ言う人には、正直、苦笑を禁じ得ないけれど…。


kf7757.hatenablog.com

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中学の理科から勉強しなおしている


中学の理科から勉強しなおしている


以前にも何度か書いたように、今年は非IT系の分野の勉強もしようと思っている。


(関連記事)

私には自動車が運転できない

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実際、電気の勉強ということで、中学の理科から勉強しなおしている。

例えば、こういった世界について。

(フレミングの左手の法則):モーターの原理

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けっこう、やってみるとかなり忘れている。それに奥が深い。


やはりアウトプットは大切だ


磁界の向きと「右ネジの法則」があれば、「フレミングの法則」は左手も右手も不要ではないだろうか、などと思って、実際に絵に描いてみると、なかなか難しい事に気がつく。

やはりアウトプットしてみるのが大切だと感じる。


世の中では、学歴といえば「大学の入学歴」のみを指し、非大卒などは眼中にも入れられないようであるが、こうした工業高校や高等専門学校で学ぶことの方が、普通科の勉強よりも面白いと感じる。

多様性とは何だろうか。

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IT業界の本当の問題はユーザーとベンダーとの距離にある


IT業界の本当の問題はユーザーとベンダーとの距離にある


(関連リンク)


「訴えてやる!」の前に読む IT訴訟 徹底解説(42):

こんなことも知らないんですか? ベンダーって勉強不足ですね

www.atmarkit.co.jp

正しい要件定義のためには、ベンダーにも業務知識が必要


システム開発の上流工程に向く人と向かない人…(単なるグチ)

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(記事紹介)上流工程に向かう時の心構えとして…確かにそう思う

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ソフトウェア開発でくりかえされる「競争発注」の愚行


最近、敢えてリンクは貼らないが、『日本には文系システムエンジニアなる存在が居てそれらが業界の問題である』とか、『欧米ではソフトウェアエンジニアには文系ではなれないしもっと高待遇である』とか、そういった論調を目にする。

いわんとするところはわからないでもない。

しかし、日本の商慣習や文化的な背景なども踏まえると、そういう問題ではないと思う。


無論、中小IT企業の一部にはびこっている『ろくな経験もない新人を経歴詐称して客先に送り込む』というビジネスモデルはすぐにでも抹殺されるべきだが…。


学歴が、理系だとか文系だとか、そんな事は『思考停止』した結論ではないか。

社会人になってからだって、努力して伸びる人も居るし、その逆も然りである。

何でも学歴に論点を収束させるのは、それこそアタマが悪い。


本当の問題は下記のような事である。

  • 人月単価契約が横行しているため、個人や組織の固有スキルや業務知識などによる『生産性の差』『品質の差』がまったく評価されていない

  • ユーザー側が要件定義を軽視するために事前見積もりによる請負契約のリスクが高すぎる

  • 特に大企業や官公庁などの大規模プロジェクトが競争発注(競争入札)を行うためますますシステム開発者側が買い叩かれる

システム開発は、建築業界に似た構造を持ってはいるものの、実際の仕事は建築業界と同じようには進められない。

もしも『作業量』に対してしか対価を払えないのなら、見積もりではなく作業結果を見てから払う契約にしなければ…。

(生産性や品質は絶対に人や組織によって差が出る。おそらく驚くほどの差として。)

そして生産性や品質の差にはしっかりと報いなければならない。

日本にだって、各業種/各業界ごとに、キーパーソンとなっている、ある意味でスーパーエンジニアと呼んでも良いような人が居る

こういう人たちを正しく評価せず、単なる"業者"扱いして買い叩き、使い潰して来たことが、日本のIT業界の本当の問題であり、闇なのである。


本当のコア人材(人財)が育成されるには10年単位の時間が必要


とある地方の公共事業体の業務システムにおいて、その発注のやり方で、格差が出ている事例を最近知った。

一方では、その分野のスペシャリストと呼べるベテランリーダーが、人数も少ないシステム開発/保守の現場を支えている。そこではシステム開発者側の方がユーザー業務に詳しい事もあるらしく、システム開発者側が主導権を握れている。しかし、そのベテランリーダーの後進が育たない事がリスクとなっている。

他方では、競争発注(競争入札)によって複数のITベンダーに同一部門のシステムが切り取られ、保守体制もバラバラになっているという。

まぁ、どちらの事例でも、ユーザー側自らがシステム開発/保守はやっていないという点は同じだ。

欧米と比較するならば、ユーザー側自身のシステム開発への関与度合いだろう。


以前にも書いたが、ユーザーはシステムになんて興味が無く、システム開発者の多くはユーザー業務に興味が無い。

IT業界の若手はユーザー業務知識には無関心だが…それで良いのかな? - IT (情報技術) 学習記録

これでは、要件定義なんてやる人が居なくなるだろう。

ずさんな要件定義を行って困るのは、ユーザー側でも、システム開発者側でも、どちらも『現業』『現場』の人間である。


アウトプットする良い機会になるなら休日に家でだってやる


アウトプットする良い機会になるなら休日に家でだってやる


近年では情報セキュリティの観点や、企業情報管理の観点、更には労働時間の観点からも、自宅での仕事は厳禁とされている。

まぁ、労働時間の観点は多分にポーズが入っているようであるが、情報セキュリティと企業情報管理の観点は本当に厳しくなった。

いまの若い人には信じられないかもしれないが、15年くらい前なら、家にUSBメモリ(当時は128MBとか256MBとかという容量だった!)やフロッピーディスクに仕事の資料を入れて持ち帰り、休日に仕事をするなんて誰もがやっていた。

いま考えてみると、良い時代だったのか悪い時代だったのか…。

ここで「悪い時代だった」と、何故断定しないのか、不思議に思うかもしれない。

家での仕事は「悪いこと」だと、何故断定しないのか。

確かに、やりたくもない仕事を、サービス残業ならぬサービス休日労働として、疲弊しながらやるのは、悪でしかないだろう。

現にそういう類の労働も経験がある。あれはモチベーションがまったく出なくて、本当に疲れるだけだった。


しかし、である。

昨年、三年間という長い休みを明けて現職に復帰した私としては、違う視点も持っている。

例えば、昨日の記事に書いたような、何かしらの発表(プレゼンテーション)用の資料作成。

kf7757.hatenablog.com

これも、もちろん仕事には違いないので、本当はいまのご時世では「家でやってはいけないこと」ではある。

そうなのだが、現実問題、平日は本業で忙しく、なかなかまとまった時間も取れない状況だ。

プレゼン資料などは、内容にもよるが、基本的には、自分の頭のなかにある情報だけでほとんどを作り上げる。

ならば、勉強の延長線上ととらえ、自分の頭の中の知識のみで、自宅のPCのLibreOfficeなどのソフトを使って作成する分には、構わないのではないだろうか。

事実、プレゼン資料を作成するといったアウトプット作業は、自分にとってはとても勉強になることなのである。


メタスキルをどんどん高めて行きたい


先日、拝読した以下のブログ記事がとても良記事であると思った。


fromdusktildawn.hatenablog.com


この内容は本当にそうだなぁ、と同感するとともに、自分も若い人には負けないような存在でいたいと、改めて思った次第である。

無論、この記事内容と、私が休日作業をする事は、直接には何の関連もない。

重要なことは、日々勉強するといった姿勢のことである。


自己啓発もほどほどに…。それは確かに気をつけないといけない。