資格試験の価値
資格試験の価値
昨日、「第一種電気工事士」の筆記試験を受験してきた。
平成30年度なので、平成最後の電気工事士試験となると思われる。
私は本業が情報システム開発/保守(SE)なので、電気系は実務経験が無い。
それでも、将来的なこともいろいろ考えて、本業以外の分野を積極的に勉強している。
先日、免状を取得できた「第二種電気工事士」の受験は、本当にたいへんだった。
電気工事士の試験の本領は何と言っても二次試験にあたる「技能試験」である。
実際に強電の世界で必要最低限、身に染み込ませて知っておかないといけないような注意点を、技能試験を取得する過程で、「身体で覚えさせる」というしくみになっている。
本当に、この資格試験のしくみはよくできていると思う。
過去問で対策ができる試験にも充分に価値はある
昨日受験した「第一種電気工事士」の筆記試験への対策では、自分ながら、そうとう猛勉強した。
直前にはもっぱら過去問題の繰り返しになる。
電気工事士の筆記試験は、過去10年間の問題をやりこんでおけば、まず合格できる内容である。
過去問で対策できる試験を、受験もしないのに侮る言説があるが、それは違うと思う。
当然のことだが、どのような試験でも、「一夜漬け」または「ほとんど無勉強」で合格できるものなど無い。
(仮にそのような試験が存在するとしたら、その資格試験には本当に価値が無い。(いわゆる民間の資格商法などの試験はこういうものだろうが…))
どのような試験でも、事前にしっかり対策を行った場合、つまり勉強をした場合にのみ、合格の目が出てくる。
過去問題で対策可能な試験が低く見られがちだが、過去問を解く、または覚えるにしても、前提知識は必要なのである。
人間の頭脳は機械とは異なる。前提知識もなく問題集の丸暗記など、やろうとしてもそうそうできるものではない。
それに、資格を与える側の思惑として、敢えて同じような問題を繰り返し出すという点もある。
上記の電気工事士筆記試験に関しては、「電気のことを深く知る」ことよりも、「現場技術者として絶対に把握しておかなければならない注意点を押さえる」ことを重要視していると思える。
強電の工事の世界では、設備や工事の取扱を間違えると人命に関わるためである。
故に過去問で対策できる資格にも一定の価値はある。
無論、例えば電気主任技術者試験(電験)など、過去問では歯が立たない、真の理解度が求められる資格試験もあるし、それには、より一層の高い価値がある。
情報系(IT系)の試験のほとんどが単なる知識認定であることが悲しい
資格資格と言っても、情報処理技術者試験のような国家試験でも、民間のオラクルマスターでも、実のところ、「その資格を持っていないと業務ができないという強制力が無い」ので、本当の意味では「資格」とは言えない。
この事実が、試験自体の様々な点での価値低下、試験内容や質の低下、現場エンジニアたちの試験離れの悪循環につながっていると思われる。(注1)
この事実が歯がゆいし、悲しいと思う。
前述した電気系の「資格」は、本当の「資格」なので、その免状を保有していないと業務ができない。
そして、そういう背景もあるためか、資格取得までに必要となる学習プロセスがしっかり根付いていて、電気工事士などは頭でというよりも身体に染み込ませるような「しくみ」になっている。
一方で、IT系は、下手をすると、ずぶの素人が「私は経験豊かなシステムエンジニアです」と名乗っても、それが本当かどうかチェックするしくみがない。(注2)
現に、経歴を詐称することが、中小IT企業の派遣の世界では常態化している面もある。
書店に並んでいる本や、インターネットにおいて、「少しでもプログラミングができれば即エンジニアと名乗れる」と書かれている風潮も、そういった背景と無関係ではないだろう。
IT系と電気系とでは、仕事内容も何もかも異なるので、一様に比較はできないが、本当に歯がゆい現実である。
(注1)それでもIT系の試験は人気自体はあり、毎年何万人も受験している。IT系の仕事自体、参入しやすい側面があるからだろう。
(注2)ここでやはり「参考」となるのは職歴以外では「国家試験」「公的試験」の合格歴だと思う。