勤続年数の価値…勤続年数至上主義
勤続年数の価値…勤続年数至上主義
子供の頃、私は転校した経験があります。
流石に小学生低学年でしたので、そんなに大きな影響はありませんでしたが…
これがもしも小学生高学年以上(中学生時、高校生時含め)であれば、私は卒業時まで「転校生」「転校してきたやつ」という目で周囲から見られたかもしれません。
そうした目で見られることが、必ずしも悪いこととは限りません。
もちろんいっさい気にしない人もたくさん居ます。
本人も周囲に馴染むように頑張って、友達を作るなど、良好な人間関係を構築できれば、大した問題ではありません。
しかし、そう、それでも、「本人も周囲に馴染むように頑張って」といったような努力が必要なのも確かです。
また、特に大して仲が良くない知り合い程度の人たちからは、「ああ2年の2学期に転校してきたあいつか」などと言われたりします。
学生時代は、まだ良いのです。(まぁ、学生時代ならではの苦しさもありますが)
卒業するまでの我慢なのですから…
日本的な企業組織では新卒入社組がいちばん強い
日本的な組織では、新卒一括採用として入社した人が、最も「強い」です。
その組織の内部では…
入社したての数年では、その事実に本人も全く気づかないでしょうが…。
ざっと思いつくだけでも、下記のような強みがあります。
(1)同期入社という明確な集団にはじめから属している
(2)新卒だけに特化した手厚い教育プログラムを受けることができる
(3)年次が上がるに従って地位(職位に限らず)が上がる
(4)組織の中で出世しやすい
(5)同じ勤続年数の中途入社者に比べ様々な点で発言力・影響力がある
特に「強い」という点は、(3)(4)(5)の部分です。
(3)の地位というのは、フォーマルな(表面的な)職位などだけではありません。
先輩後輩の関係といった、インフォーマルな部分だけでも、重要な点になります。
例えば新卒入社して、その組織に10年在籍すれば、
自動的に自分の下には9年分の「後輩」ができます。
職位が低くても、「先輩」という地位が得られるのです。
特に若手の頃は、一年でも先輩だと、それだけで頭が上がらないことが多いです。
そして、その先輩後輩の関係というのは、永久に変わらない関係なのです。
たとえ、自分よりも後輩が、自分よりも上の職位に出世した場合でも…
その後輩から見れば、自分は先輩であることには変わりません。
もちろん、表面的には部下としての振る舞いが必要ですが、その後輩からすれば、先輩をムゲに扱うことはできないわけです。
このような日本的な組織の中で…
例えば、新卒入社して、15年在籍したとします。
実際に職位がどの程度上がるかはさておき、少なくとも14年分の後輩が社内には居るわけです。
社内の人数構成を考えた場合、ひょっとすると、全社員の半数くらいは「後輩」かもしれません。
自分自身はたいして出世していなくとも、指導した後輩が出世するかもしれません。
その後輩から見たら、自分は永久に先輩であることには変わらないのです。
この状況が、いかに「強い」状況か…
…というわけです。
中途入社組であっても勤続年数は一定の価値がある
新卒組ほど明確ではないにせよ、中途組であっても、前述と同じ理由で、勤続年数を積み重ねれば、積み重ねるほど、「強く」なっていきます。
中途入社者は、はじめは、本当にゼロからの再スタートとなります。
同じ時期に入社した新卒組よりも、事実上、下からのスタートとなります。
それでも、1年頑張れば、1年分、3年頑張れば、3年分の、信用が徐々に積み上がっていきます。
年齢に関わらずゼロからのスタートという部分以外は、勤続年数が上がれば社内的な地位が上がっていく理屈は新卒と同じです。
私は、こうした日本的なカルチャーは、正直言って、キライです。
しかし、現実は現実として、受け止める必要があると思っています。
やりなおしがきかない日本社会
もっと転職が一般的になり、ポジティブな転職が多くなり、上述したような、「勤続年数至上主義」的なカルチャーがなくなれば良いのですが…
現実には、まだまだそれは先だとも感じます。
すべての元凶は、「新卒一括採用システム」にあります。
新卒一括採用システムが破壊されない限り、「勤続年数至上主義」は、なくならない気がします。
それは、よく言われる「やりなおしがきかない日本社会」の元凶でもあります。
私が望むことは、
新卒一括採用システムの破壊、そして、
年齢差別の徹底禁止(法的規制)であります。