昔はなかった言葉「文系エンジニア」「文系プログラマ」…この言い方やめないか?
昔はなかった言葉「文系エンジニア」「文系プログラマ」…この言い方やめないか?
新入社員たちが最初の新人研修を終えて、現場に配属される季節になった。会社や組織にもよるが、この7月から配属というところも多いのではないだろうか。
ウチの職場は、様々な理由により、そんなには人気も無いし、採用人数も少ない。
近年では、4月の入社式の日に、新入社員たちのコメントが全社向けのイントラネットに掲載される。誠に恥ずかしい風習である。
私が新人だった20数年前には、当然ながらイントラネットもなかったので、そのような恥ずかしいモノはなかった。
さて、その新入社員たちのコメントの内容であるが、まぁ、空気を読んだ内容、読まない内容、様々である。
その中で、気になるワードがある。「『文系』ですが頑張ります」などというものである。
近年、「文系エンジニア」や「文系プログラマ」という言葉をネット上で目にする機会が多い感じがする。
文脈的には、どちらかと言うと否定的なニュアンスで使われている。
曰く、『文系(大学)卒業で、エンジニア、プログラマになれるのは日本くらいだ』
曰く、『海外ではコンピュータ・サイエンスを学んだ上でないとプログラマにはなれない』
曰く、『日本では本当に優秀な理系(大学)卒業者は、プログラマなどにはならない』
曰く、『日本では安い単価で素人をプログラマに仕立て上げて現場に送り出す悪徳商売が横行している』
全否定はしない。
しかし、たちの悪いマスメディアのように、ごく一部分をフォーカスしているだけで、それをあたかも社会全体にも言えるかのように誇張するのも、違う気がする。
そもそも「文系人間」「理系人間」などという種類分けに意味があるのか?
普通科高校における、科目選択としての「文系コース」「理系コース」が、その人間の性質まで決めるのだろうか。
では、商業高校に進んだ人はどちらなのだろうか。文系だろうか。
では、工業高校に進んだ人はどちらなのだろうか。理系だろうか。
実のところ、近年の風潮からして、『学歴』とは、あくまでも『大学の入学歴』の事を指す。
そうなると、商業高校、工業高校、高等専門学校などに進んだ人は、『学歴そのものが無い』という事になる。
十代半ばにおける進路選択で、その人の人生は確定か。
「文系」「理系」および「学歴なし」が確定か。
バカバカしい。本当にバカバカしい話である。
社会人になってみてはじめて勉強の意義がわかってそれから努力する人もいる
どのような職業であったとしても、実際にやってみないことには、自分に向いているかどうかはわからない。
日本型の新卒一括採用は、確かに批判もあるし、その時点にしかチャンスがないという歪んだ採用実態は、改善する必要があるとは思う。
しかし、まったく社会経験がなく『真っ白』な状態のまま採用する事で、その人の本当の適正は、実際の仕事の中でゆっくり育成するという、決して悪いだけではない点もある。
学生時代に選択した科目が「文系」であったとしても、エンジニアやプログラマといった技術職の方が向いているとわかったり、もしくは、本人の努力で同期の「理系」たちに追いつき、追い抜いていく場合だって多い。
まぁ、入社時のコメントで出身大学の名前をわざわざ言う人には、正直、苦笑を禁じ得ないけれど…。