「アウトプット」の重要性と「生徒でいるうちは先生を超えられない」説
「アウトプット」の重要性と「生徒でいるうちは先生を超えられない」説
「アウトプットする趣味」は大切にした方がいい。ゲームや動画鑑賞、さらには読書もそうだけど、インプットするだけの趣味はほどほどに。インプットしたらそれをアウトプットする趣味も欲しい。そして、アウトプットする趣味は、忙しいからといってないがしろにしてはいけない。
— ひらめきメモ (@shh7) 2017年7月16日
これ、本当にそう思う。
理由は「脳の記憶のメカニズム」と関係がある。
誰かに教えられたり、何かを読んで勉強する時点では、その情報や知識は、まだ「自分の知識」として脳に定着していない。
一方で、誰かに自ら教えたり、文書として自分なりにまとめたり(ブログでも良い)する時点で、はじめて「自分の知識」として脳に定着するのである。
生徒は先生よりも上手くはならない説
これは、前述の理論で説明がつく。
最近、拝読した記事の中に、下記のような言葉があった。
「バイトや仕事よりもブログで稼ぐ」ことを学生や若者が主張するようになったのは、「絶望」のせいかもしれない。 - いつか電池がきれるまで
僕は、若者がキラキラとした自分の夢を語ってサロンに集客するようなブログは、基本的に「お金に困っている人から、『こうすれば稼げますよ』と教えるという名目でさらに小銭を巻き上げる『貧困ビジネス』」だと思っています。
人にものを教わるときに気をつけたいのは、ほとんどの場合、生徒は先生より上手くはならない、ということなんですよね。
だから、教えてもらうのだとしたら、「教えたがっている人」にではなく、「自分もこうなりたいと思える人」に付いたほうがいい。
大部分の「ブログ指南」をしている人たちと、その信者たちをみると「えっ?こんな現時点ですでに救いようのないブログの劣化コピーをつくってどうするの?」って思うよ。
これも、本当にそう思う。
この記事全体の主旨についての言及は避けるが、上記の引用の中の、「生徒は先生より上手くはならない」の部分は、本当にそうだと思う。
ブログを書くことの意義もある
上記のような事を踏まえると、ブログを書くという行為にも、意義が見いだせるのではないだろうか。
そんなことを思う次第。