必要な野心と不要な野心
必要な野心と不要な野心
先に書いたグチの続きのようなものであるので、そのつもりでお読みいただきたい。(手前味噌的な部分も大目に見ていただきたい)
(関連過去記事)
業界大手IT企業SEにしては野心がないと思った件
うちの職場などよりも10倍以上もの従業員数を誇り、業界では知らない人は居ないような大手IT企業に、今回は上流工程である要件定義段階から参入してもらっている訳である。
手前味噌という表現が合っているか自信がないのだが。言ってしまうと…。
今回、大規模改修を行うユーザー企業の業務システムは、非常に特殊で、まず類似システムはほとんど世の中には存在しないと言い切れるものである。しかし、その業務領域はユーザー企業にとっては基幹部分に深くまで刺さっているものであり、業務が消え去ることも、システムが使われなくなる事も想定し難い。
つまり、パッケージ化によるスクラッチシステムの廃棄や、事業自体が売却の憂き目を見るといった事はなく、その業務やシステムを一度でも知悉するまでに至れば、ユーザー企業がそのシステムを改修する度毎に、その仕事を高確率で受託することができる。
こういった部類のシステムの大規模改修プロジェクトに、上流工程から参加できるものなら多少の無理があっても参加してみたいと、そう思うITエンジニアやIT企業は多いのでは無いかと思う。
(こんな事を言ってしまうので、手前味噌という表現を使った)
しかし、今回の相手先のリーダー(大手IT企業社員)は、どうにも反応が薄い。
そのリーダーについてきている他メンバー(実はその大手IT企業社員ではなく下請けの方)の方が、よっぽど食いつきが良い。
いままで、他のITベンダーが独占していた業務領域を奪取できるチャンスだと思うのだが、そういう姿勢は感じられない。あくまでも受け身で「成果物のイメージを教えてください」とくりかえすのみである。
一言で言うならば、『野心が無い』
こういった野心ならば、必要な気がするのだが…。どうなのだろうか…。
不要な野心もある
同じ『野心』でも、まったくもって邪魔な、不要な部類の野心もある。
狭い意味での、『出世欲』などがそれにあたる。
承認欲求と自己肯定を周囲に撒き散らしながら、組織内での自分の序列を少しでも上昇させたいと腐心するような『野心』は、結果としては、陰で誰かを犠牲にする事が多いと思う。
出世というものは目標であってはならないのではないか。
良い仕事であったり、良い貢献であったり、そういった事の「結果」のひとつとして、出世というものがあるのではないだろうか。
…そんな風に思うのである。