学歴とは関係しない真の頭を良くするための勉強のやりかたとは(個人的考察)
学歴とは関係しない真の頭を良くするための勉強のやりかたとは(個人的考察)
このゴールデン・ウィークには、いろいろと勉強を開始しようと思っていた。一応、LPIC202試験の学習には着手はしたものの、いまひとつモチベーションが上がらず、どうしようかと思っている。
一方で、私は、短期的な目標に加えて、中長期的な目標も、いろいろ考えている。比較的短期間に、暗記学習で勝負ができるようなベンダー系試験(LPIC,オラクルマスターなど)ではなく、広範な知識や国語力が必要となる国家試験(情報処理技術者試験/情報処理試験など)も受けていきたいし、その他にも、いろいろ考えている。
下記の記事でも触れたように、私の世代(団塊ジュニア世代/就職氷河期世代:日本版ロスト・ジェネレーション)は、とにかく人数が多い。
人数が多いということは、どうしても競争が発生するということである。
例えば、今から15年後。この世代は一斉に60代近くになってくる。年金は当然60歳では支給されない。65歳だって怪しいものだ。それに、例え支給されたとしても、人数構成比の不利によって、まず間違いなく、年金だけでは暮らせない状況になっているだろう。日本社会はまさにクライシスになっていると思われる。
想像するだけで怖い。怖いが、とにかく競争時代が再び到来するのは目に見えている。
それに少しでも備えるにはどうするか。
いろいろな手段や考え方はあるだろうが、とにかく『頭を鍛えておく』必要はあると考えている。あまり好きな言葉ではないが、近年よく耳にする『地頭』(じあたま)を良くしておくという事である。
(この『地頭』とは、おそらく造語であると思われる。普通、この熟語は歴史で出てくる『地頭』(じとう)だろう…)
0.現状
先日の記事でも取り上げた来未炳吾さんの下記ブログの記事は、かなり大きな反響があった模様である。確かに的を射たご意見であると思う。
ここで再度驚いた事は、この記事へのはてなブックマークコメントにおいて、以下のようなコメントが少なからずあった事である。
記事が長いのですべては読んでない(読めない)
長いので意味が理解できない
無論、「わかる」「賛同する」というコメントが最も多かった。しかし、そのコメントを書いている人々の多くは、「自分は『対応型』ですよ」と自覚していた。一方で「自分は『感想型』だ」と言っている人は少なかった。これは、そもそも『感想型』の人がコメントを書くこと自体をしていない可能性が伺える。
上記のように「長い」と言っている人は、もしかすると『感想型』なのではないか、とも思った。
現代は良くも悪くも、格差が広がりつつ、大学進学率は高くなっている。(詳しくは下記の記事もお読みいただきたい)
大学進学率が急上昇した背景は、1990年代後半~2000年代にかけての就職氷河期が関係していると考えているが、背景はさておき、とにかく大学卒業者は昔より若手を中心に増加しているはずである。しかし、その一方で、上述のような言語認識が『感想型』の人も増加している。
私は、一概には言えないにしろ、『感想型』の言語認識の人のほうが、『対応型』の人よりも、「読み」「書き」の能力が低い傾向があるように思える。
1.頭が良いとは
頭の良さは、様々な尺度が考えられる。しかし、ここではこう考えたい。
頭が良い = 「読み」「書き」「計算」の能力が高い
これは、
頭が良い = 情報処理能力が高い
と言っても良いと考える。
これを測る尺度が、いわゆる『学歴』(=学力)である、という意見もある。むしろそう考える人は多い。
しかし、私は、18歳(高校3年生)のある時点の受験学力だけで、その人のその後の学力の変化までわかる訳がないと思っている。人の本当の学力(つまり上記の情報処理能力)は、年齢を重ねても伸びる人は伸びると考えている。
従って、学歴だけでは判断できない。
2.一朝一夕には身につかないものとは
「勉強のやりかた」「勉強のしかた」に関するWebページは、けっこうな数、存在する模様だ。
その中で、学校の教科の中で、どの教科が最も上達に時間がかかるか、というものがあった。(どのサイトであったかは忘れてしまった…)
そこでの要旨は下記のようなものであった。
最も短期的に勉強の効果が出やすいのは「理科」「社会」である。(理由:基本的に暗記で勝負ができるから)
上記の次は「数学」「英語」である。(理由:これも上記科目ほどではないが暗記による効果が出やすいから)
逆に最も短期的には効果が出にくいのは「現代文」(国語)である。(理由:読解力や表現力が必要となるから)
また、こうも言っていた。
- 国語力を伸ばすことで、全体的な論理的思考力が身に付き、問題文の理解度も上がるため、他の教科の成績アップにもつながる。
私としては、数学が暗記で勝負できるかについては異論が少しあるものの、
国語力(日本語力)がすべての基礎である、
という点は同意見である。
現実のシステム開発などの業務においても、例えば一時期かなり流行した「オフショア開発」などで、最終的にどこに課題があったかと言えば、「お互いの」日本語力であったと思える。
顧客が提示する要求や要件(当然日本語で書かれている)にあいまいな点が多い。 日本側で作成したシステムの設計書(当然日本語で書かれている)にオフショア先の技術者から見ればあいまいな点が多い。 オフショア先の技術者は英語力は高いかもしれないが日本語力は期待値よりも低く、あいまいな日本語を読み解けない。…など。
他にも日常的なメール文章などにおいても、基礎的な国語力(日本語力)がボディブローのように効いてくる。
3.国語力(日本語力)を伸ばすには
これには明確な答えは難しい。
陳腐のようだが、以下のような事ではないかと考える。
様々な分野の本の『読書』によって、幅広くインプットを行う
自分の得意としたい特定領域に関する書類を『読み込む』ことによって、深いインプットを行う
自分の中で物事を整理しながら文章を『書く』ことによって、アウトプットを行う
特に3番目の『書く』ことは、効果は絶大だと思える。世の中には、この『書く』ことが苦手だという人が、なんと多いことか。
ここでの力が、上記「0.」の話に出た『対応型』の言語認識につながってくる。
そして、実は『書く』ためには、ある程度、多くの本や書類を『読書』しておかないと、そもそも『書けない』のである。
人間の脳は、アウトプットした事を優先的に記憶するようにできている。そのため、記憶するためにも『書く』ことが重要となってくる。
(その意味では、ブログ記事を書くことも、上記の訓練になると考える。ブログを書くことでアウトプットを鍛えられるのである)
4.大競争社会
冒頭において述べたように、やがて団塊ジュニア世代を先頭とした就職氷河期世代が60歳に近づき、人数が多いこの世代を中心に、再び大競争社会がやってくるだろう。
個人的には過度な競争は嫌いだ。
しかし、そのような個人的な希望とは関係なく、残酷に競争社会はやってくる。
価値観は人それぞれなので、一概には言えないにしろ、大まかに言うならば、下記の2種類の人間に分断されると思う。
考える人(ナレッジ・ワーカー)
動く人(マニュアル・ワーカー)
そして、人数比で言えば、多くのマニュアル・ワーカーと、比較的少数のナレッジ・ワーカーという形になってくるだろう。ナレッジ・ワーカーの方がより多くの対価をもらえる事は、想像できる。
ナレッジ・ワーカーとして働くときの条件が、上記でいう「情報処理力」の有無/高さなのではないだろうか。
(ここの考えは、正直、まだ自分でもまとまっていない。どういう社会になるか不安である)
下記のような本を読んでも、学生時代の『受験数学』に対して、「問題の解き方」のみをただ覚えてきた人が、大学に入って改めて数学を勉強すると、実は小学校レベルの事項で「つまずき」を起こしている場合があるとの事である。
学歴(受験学力)で人間を測る事などできない。