労働時間はやっぱり重要だと思う
労働時間はやっぱり重要だと思う
最近、職場を通じて、とある外資系コンサルタントが開催している、業務時間が終わってから参加するタイプのセミナーの話を耳にした。
そのコンサルタント曰く、『その時間でも参加するような人はやる気があるので、そういう形式を続けている』とのこと。
直接、そのコンサルの人から聞いた訳ではない。だから文脈もわからない。
それでも、上記のような言葉として、私の耳に入ってきた訳である。
「業務時間が終わってから(夜)でも参加する人」を、「やる気がある人」と評価する、という事は、厳密に言えば、必ずしも「業務時間が終わってから(夜)は参加しない人」を、「やる気がない人」と評価している、とは限らない。
それはわかったうえで。
それでも、「業務時間が終わってから(夜)は参加しない人」を、「やる気がない人」と評価しているのではないか、と疑いたくなる言葉ではある。
仮に、その疑いがある程度当たっていたとするならば、その外資系コンサルタントの考え方も、いまの社会には合わない、古い考えだなぁ、と思った。
「楽しければ長時間でも耐えられる」というのは間違い
以前、とあるエンタメ系の企業の経営者が、「ホワイトカラーの仕事は時間で測るものじゃない」とネット上で発言をして、炎上した。
創造的な仕事を、集中してやる場合は、アドレナリンが出てきて、楽しい。そういう時には「労働時間」という概念で規制する事はマイナスである。
こういう言い分である。
しかし、これは危険な考えである。
下手をすると「ブラックな職場」を作ることになる。
アドレナリンが出ているという事は、脳内麻薬が出ているという事である。
一時的に栄養ドリンク剤で気力を奮い立たせているのに似ている。
無論、ひたすらツライ仕事よりも、何らかの創造性がある楽しいと思える仕事の方が、ストレスは感じにくいとは思う。
しかし「ツライ」「楽しい」に関係なく、人間の心身は疲弊する。
だからこそ、これだけ「残業を減らさなければ」という声があがっているのである。
「楽しければ長時間でも耐えられる」と言っている人は、たまたま自分の心や身体の限界まで頑張ったことがない人であると思う。
人間はしょせん生物なので、心や身体には限界がある。
ちゃんとした企業(比較的大企業に多いが)では、管理職や裁量労働制の社員であっても、「総労働時間の管理」を行うように指導している。
それは、管理職や裁量労働制の社員でも、長時間労働が心身の健康を損ねる傾向がある事には変わらないという統計を持っているからである。
どんなに素晴らしい内容のセミナーであったとしても、業務時間が終わってからの、かなり疲れている状態で受けるというのもどうなのだろうか。その程度の事で「やる気」を測ってほしくはないものである。