若手にCOBOLを教える事は可哀想か
若手にCOBOLを教える事は可哀想か
『これからのIT業界を担ってゆく若手をコボラーにするのは可哀想だ』という意見がある。現実に、某巨大コンピュータメーカー本体に入社したものの、配属先が金融機関システムのプロジェクトで、新しい技術とは無縁の世界では働くのが嫌なので会社を辞めたという記事が、昨年にも話題になった。
私の意見としては、せっかく高い競争率を突破して入ったであろう巨大メーカー本体の社員という身分を、そんなに簡単に捨ててしまって、なんとまあ、もったいない事か、と思った。
率直に言うとね……。
価値観は人それぞれなので、こればかりは仕方が無い。でも、そんなに簡単に辞めるなら、替わりに自分がメーカーの社員になりたかった、という人は大勢いるだろう。
そういう人は、何故メーカー社員になりたいのだろうか。
日本を代表する巨大コンピュータメーカー本体の社員ともなれば、嫌が上でも、若いうちから関連企業のベテラン社員や、言葉は悪いがいわゆる下請けパートナー企業のエンジニアを統率するような位置での仕事になってくる。
(はじめのうちは、それこそ金融機関システムならCOBOLプログラマーとして出発するかもしれないが、数年もすればそういう立場になってくる)
確かに地道にプログラマーとして腕を磨いて行きたい、という方向とは異なって来るだろう。しかし、これは現実的な問題として、『いちプログラマーにはいつでもなれる』が、『巨大メーカー社員としてプロジェクトを率いる立場にはなりたくてもなれない』という、業界の構造問題がある。
プロジェクトを率いるという事は、『要件定義』といった顧客側責任の業務にも深く関与するという事だ。そして、システムには業務アプリケーション領域だけではなく、インフラ領域も必要となる。メーカー系社員なら、インフラ系の領域に道を見出す事も可能だ。
(それが、たとえクローズド環境の特殊なインフラ機能であったとしても、業務アプリケーションの土台となる基盤には何が必要なのか等、多くの知見があるだろう)
COBOLが死滅すると言われて何年が経過するか知っているだろうか。
私が知る範囲でも、30年も前からずっと言われ続けてきた。
そしてこの30年間で、たしかにペースの増減はあるだろうが、毎年COBOLプログラム資産は増加し続けている。
これは私見であるが、COBOLエンジニアは、金融機関の業務システムのような、『業務知識とセットで』育成されてきた感が強い。
そうしたCOBOLエンジニアは、今では人手不足で、現場は大変だという。
価値観は様々であるが、シンプルにこう考える事もできる。
『人手不足』という事は、その領域の知識やスキルセットは『飯の種になる』
福祉や介護系の人材不足の状況等を見るに、一概に人手不足の領域が良いとは言えない部分もあるけれど……。
少なくともこれだけは言える。
プログラミング言語の習得といった問題は、実は些細な問題で、IT業界でエンジニアとして長く活躍して行きたいならば、顧客側の業務要件定義の領域と、システム側のOSやデータベースといった基礎知識の領域を、バランス良く持っている事が重要である。
果たして『新しい技術』のうち、本当に『新しい』のは、どれなのか。
実は、大昔に流行した概念が、言葉を変えて再来しただけかもしれない。
変わるもの、変わらないもの。
これらの見極めが重要なのである。