「自分の無知を知る」ことの大切さ
「自分の無知を知る」ことの大切さ
最近は試験勉強が忙しく、更新が停滞している。
「第二種電気工事士」の本番は何と言っても「技能試験」の方だということを、最近、身を持って体験している。
普段、ドライバーなどの工具もろくに使うことがない生活をしている者にとっては、ごくごく基本的な電工の実技も、たいへんだ。最初はものすごくつらい。
でも、強電を扱う者としての最低限の注意点などが、頭というより、手で覚えられるようになっている点がすごい。
あと一週間なので、山場である。
7月に入って、いろんな職場では、新入社員が現場に配属される季節になっている。
この季節になると、いつも、
「自分の無知を知る」ことの大切さ
を考える。
「わかっています」「知っています」と言う人にどうやって先を目指させるようにするのか
人に仕事などを教えることがよくある。
やはり、その仕事を長年やっている人の方が、いざというときの引き出しの数や、知識の深さが違っている場合が多い。
その意味では、入社数年の若手や、異業界からの転職者の人は、その道で長い人に比較すると、いろいろと「わかっていない」場合が多い。
しかし、プライドが高い者などは、「わかっています」と言う。
さらに精神的にこじれている場合、「わかっていない」ことから目をそむけ、自分がこれまで得意としてきた領域にこだわり過ぎて、まったく新しいことを覚えようとしない者もいる。
若手で、「本当は深くはわかっていない」のに、それに気づかない者ならば、「自分が実はまだまだわかっていないんだ」という事実に、気付きさえすれば、成長できる。
なまじ、社会経験がある程度ある人の場合、プライドのせいで「わかっていない」ことから目をそむけてしまう。
これだと成長する機会をどんどん失っていくだろう。
「自分の無知を知る」
これは本当に大切である。
私はいま、電工試験に集中しようとしているが、こっそり電験三種(第三種電気主任技術者)の勉強もやっている。
電験三種がいかに難しいか、それを最近、少しだけ実感してきた。
正直、合格できる気がしない。
でも、こういう実感は大切にしたいとも思う。
世の中には土日でも勉学に励んで頑張っている人が多くいるのだ。
見習わねば。