IT (情報技術) 学習記録

主に情報処理技術者試験、オラクルマスター、Linux技術者試験(LPIC)等の、IT系、または電気系の学習記録を中心に。(働き方や世の中も)

「終身雇用はもう古い」に対する反論…「給料の年功序列」をやめれば良いだけ


「終身雇用はもう古い」に対する反論…「給料の年功序列」をやめれば良いだけ


様々なところで言われている「いまの時代には終身雇用なんて合わない」「終身雇用なんてもう古い」という言説に違和感を覚える。

この言説は、多分に労働者側ではなく、使用者側、つまり経営者側の都合を含んでいる。

終身雇用(正社員など)に関する規制を緩和したところで、得をするのは労働者側ではなく、圧倒的に経営者側であると思える。

就職氷河期世代:日本版ロスト・ジェネレーションに、一応含まれている世代である私から見てもそう思える。(但し、この失われた世代に対しては、別途、救済する制度は必要であると考える)


「終身雇用」だからといって「給料を年功序列にする」必要はない


「終身雇用は維持できない」という言説には、必ずと言って良いくらい「年功序列が維持できない」という論理がセットになっている。これが不思議でならない。

ここで言う「年功序列」は、つまり「給料が」という意味合いが強い。

多くの労働組合は、一般的な家庭における「生計モデル」と、それに見合った「賃金カーブの維持」を主張してきた。20歳代で結婚して、30歳前後で第一子を授かって、40歳代に子どもの教育費などがピークになって、という「生計モデル」である。

この生計モデルは、私の世代からすると、もう古いと言わざるをえない。良い悪いは別にして、このモデルは既に崩壊してしまっているのだ。

崩壊している生計モデルを論拠とした、「賃金カーブ」の維持は、確かに時代に合っていないと感じる。

しかし、その事が、「正社員の規制が古い」とか、「終身雇用はもう維持できない」という考えに発展、飛躍する事が、正直、理解できない。

けっきょく、右肩上がりの「賃金カーブ」だけ見直せば良い話ではないのか。


使用者側と労働者側との合意が軽視されている現代


かつての昭和中期時代の高度成長時代のような、「サラリーマンは気楽な稼業」という幻想は、確かにもう古すぎてお話にならない。

いつまでたっても成長しようとしないような問題社員が居る場合には、しっかりと評価を行った上で、処遇を落とすなどの措置は当然、行われるべきである。そしてその状態が一定期間、改善が見込まれない場合には、退職をしてもらう。企業だって営利団体なのだから、その点は当然である。

これは過去の終身雇用が主流だった時代でもあった事である。ただし、いきなり労働者側の都合や言い分を無視して、使用者側の独裁で行われるのではなく、できるだけ話し合いを重ねた上で、お互いに合意した退職を目指す。

いまの時代、この点が軽視されている場合が多いことが問題なのである。

その「お互いの合意という点が軽視される状況」がはびこっているのが、いわゆる「非正規雇用」の世界や、形式上は「正社員」であっても実質的には「人月商売による派遣」もしくは「偽装請負」が横行している世界である。

このような世界には「使用者側の利益」しか存在しない。

しかし、それは使用者側にとっても「短期的な視点での利益」でしかなく、「中長期的な視点での利益」では、むしろマイナスなのではないだろうか。


「終身雇用」だからこそ中長期的な人材育成が可能


長い職業人としての経歴を積む中では、時には研修を受けたり、すぐには結果が出ない勉強期間も必要である。

そういった個人としての中長期的な成長を考える場合、終身雇用の考え方は利点が多いと思える。

個人としての成長を促すことで、企業としても中長期的には競争力が増加する。


「終身雇用」という言葉が悪ければ他の言葉でも良い


重要なことは、

  • (基本的には)自分から転職を望まない限り長く働ける職場

  • 中長期的な成長を配慮してくれる職場

  • 育児や介護などといったライフステージ変化にも配慮してくれる職場

…が、制度的に確保される事である。


「旧態依然の終身雇用にしがみついている人々が、非正規雇用の職を奪っている」という言説によって、労働者同士の対立を煽るのは、ブラックな使用者側の狡猾な洗脳なので、それに騙されてはいけない。

「時代に合わない年功的な賃金体系」がある故に、「あの中高年社員はろくにパフォーマンスを上げていないのに高い給料をもらっている」などという不公平感が出てくるのである。

パフォーマンスが悪くなれば、待遇も下げるのは当然の事である。

ただし、順当に経験値を積み上げてきた中高年社員であれば、必ず特定の強みを持っていたり、莫大な経験値のみで大抵の判断ができるため、頭の力をより創造的な面に使ったりできるようになっているものである。

そういった価値は、やはり評価されるべきであるし、日本においては、『失われた20年』によって、取り返しがつかないほど、喪失してしまった真の労働力なのである。